近代修養の巨人、常岡一郎師の中心思想を学びます。 


by ryukoin

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暮れをむかえて

今年も残すことあと2日となった。

大晦日のつぎは必ず元旦が来る。

常岡先生は

「終点は出発点である」

と説かれた。

これが、中心思想の根幹でもある。

この精神をかみしめ来年も精進したい。
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by ryukoin | 2006-12-30 03:22 | つれづれ

神の懐ろ住所

神社のネット参拝 神社本庁が注意喚起
Excite エキサイト : 社会ニュース
記事
>もうすぐ新年。初詣に出かけ祈願をするのは日本らしい風物詩でもあるが、実際に足を運ばなくても「ネット参拝」が可能な神社仏閣のホームページが増えている。ところが、全国約8万か所の神社を包括する神社本庁が、全国の神社に対し「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意を喚起、ちょっとした論議になっている。

J-CASTニュースが神社本庁に取材すると、

「ネット参拝ができる神社は、全国で1,000を下りません。もちろんインターネットを使ってPRや情報発信をすることは奨励していますが、参拝の原則は実際に拝観すること。それをネットだけで完結させるのは…。また、通信販売で、お土産のようにお守りやお札まで販売しているHPも見受けられるんですから」
>と戸惑っているのだ。



さて、神の概念はいろいろあるから一概にどうとはいえないが
八百万(やおよろづ)の神というぐらいだから、
現代のネットにも神のはたらきがあってもいいのではないかな?

以下、常岡先生の言葉から

真理は善悪をこえて天地を貫く。
この真理こそ万世不変の神のめぐみの姿である。

右にも左にも真理は光る。
朝も夜もわれわれは真理に包まれて生かされている。

悟れば常に神の懐ろに住む有り難さを知る。
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by ryukoin | 2006-12-25 21:40 | 中心の言葉から
小さいものならつかんでつかめる。
大きいものは手でつかめない。
コップは小さいからつかめる。
ペンもつかめる。
しかし、テーブルはつかめない。
家はつかめない。城はつかめない。

小さいものは「摑(つか)んでつかむ」、
大きいものは「摑まれてつかむ」のである。

城を取るということは、つかんでとるのではない。
その城の中にはいってしまうことである。
完全に城にはいったとき、
その城をとったということになる。
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by ryukoin | 2006-12-18 09:45 | 真理への憧れ

心の消化

一枚の草の葉も牛が食べたら牛肉になる。
虫が食べたら虫の養いになる。
大地とけこめば肥料になる。

偉大な人にとっては、苦難も、欠乏も、悲しみも、
一切が悟りの力になる。
伸びるための血となり肉と成る。

われわれは悲喜こもごもの人生に処している。
身に迫るものを取り入れて、
悲しい末路を生むか、
尊いものを生むか、
それは自らの心の力による。
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by ryukoin | 2006-12-15 10:21 | 真理への憧れ

平 和

平均のとれた調和、それが平和である。
平均がとれる。釣り合いがとれる。
釣り合いがとれたら、見事に調和が保たれる。
見ても気持ちがいい。
これが平和の姿である。

まず、平均をとること、これが平和への第一歩である。

平均がとれる。釣り合いが取れる。
それは中心が定まっている時の姿である。
物の中心を見つけてそれを守る。
それが平均と平和の許される道である。
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by ryukoin | 2006-12-14 08:27 | 真理への憧れ

争い心

水蒸気のないところに雲は生まれない。
雲のない空から雨は降らない。
雨のもとは雲、雲のもとは水蒸気、
雲が見たく無いなら水蒸気を散らすことである。

わがまま、得手勝手、利己主義のないところに
争いは生まれない。
争い心の無い人の集まりから平和は生まれる。

しかし、人間一人一人の心の中から、争い心、わがまま、
利己的な考えを取り去ることの重大さに気づく人は少ない。
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by ryukoin | 2006-12-12 08:41 | 真理への憧れ

周りはながめておく

心のあり方 つかい方 もち方 考え方

これをまず第一に考える

周りのことは ただ おもしろく

ながめていれば いいんだよ
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by ryukoin | 2006-12-10 07:45 | つれづれ

『中心をめざして』⑤

晩秋の一日、私は綱渡りを見た。高い一つの綱を、曲芸師がわたるのである。
恐ろしい。見ていてもゾッとするほど危ないことである。

歩き出した。綱は少しゆるんだ。
見上げると一本の傘を手にして、高い綱の上に立っている。
彼はもはやその綱の上に這うことも出来ない。かがむこともできない。

絶対絶命の彼は、何をたよりとして向こうまで歩いていくのであろうか?

見つめると彼の目はいま、彼の足や手や観衆の叫びや、
そうした身近の一切のものからすっかり切り離されている。
そうして、ただ一つの自分の離れたはるかの動かぬものを
中心として見つめて歩くのである。

はるか彼方の変わらぬものに心のすべてを吸い取られている。
そうして自分を忘れきって歩くとき、あの恐ろしい絶対の中から、
さも自由に軽く都合よく歩み続け得られた。万衆の魂を冷やし、
人々の心をつかみ、目を吸い取ってしまっている。

動かない中心を目ざして、ひたすら歩み続けるもののみ、
明るく生きることが出来るのである。

一点に心のすべてを吸い取られた彼は、同時に万人の人々の
目も心も歓声も一点に吸いつけているのであった。

われわれは来るべき時代のやめに、現在の手近な問題のみに
囚われてはならない。

人事百般の中から、動かない中心を目ざしてつらぬく何ものかを
求むべきであろう。
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by ryukoin | 2006-12-01 09:47 | 中心をめざして